<< 2011年12月
1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031

【金正日死去】金正日は「出来の悪い2代目独裁者」だったか? ニュース記事に関連したブログ

2011/12/20 14:05

 

 

 

金正日総書記「功」見当たらず 国民飢えさせた「出来の悪い2代目独裁者」
 
2世独裁者・金正日総書記も父・金日成(1994年死亡)と同じく国民に十分な食を与
えられないまま死去した。親子合わせ63年間の“鉄拳統治”の下、北朝鮮は核とミサイ
ルの開発には成功したが国民は貧困から抜け出せず、まともな国家としてついに浮上でき
なかった。
 
国家指導者の死に際して人物評には「功罪相半ばする」との形容句がよく付くが、故金正
日総書記には「功」が見当たらない。
 
48年の建国以来、最大の国家目標であり国民への約束だった「米のごはんと肉のスープ」
を最後まで国民に提供できなかった。国民を飢えさせたのでは、他にどんな成果があった
としても指導者としては失格である。
 
国民の多くがひもじく疲弊するなか、金正日父子だけが肥満体というその姿が、金正日
制の悲劇を象徴している。
 
金正日総書記は国民に対し自らを父に似せ「将軍さま」と呼ばせた。「偉大な領導者(指
導者)」「21世紀の太陽」などと崇拝させ国民を服従させた。残ったのは父以上の超独
裁体制であり、金総書記は「出来の悪い2代目」に終わった。
 
「息子・金正日」の最大の失敗は父の死後、父の失敗を批判、否定できないまま“変化”
を拒否したことにある。
 
北朝鮮の閉鎖的な社会主義独裁体制は金日成時代にすでに行き詰まっていた。国民に自由
を許さない極端な計画経済で経済は破綻し、国民はヤル気をなくしていた。金正日体制ス
タート後の大量飢餓はそのツケだった。
 
90年代に入り、それまで北朝鮮を支えてくれたソ連・共産圏が“変化”を目指して崩壊
し、東西冷戦体制が無くなったにもかかわらず、金総書記はその「歴史の流れ」に一人背
を向けた。
 
彼にとって94年の父の死は、父の時代を“失敗”として総括し、それまでの閉鎖的な社
会主義独裁体制を手直しするチャンスだった。国民に希望を与え新しい「金正日時代」に
踏み切ることも可能だった。すでに改革・開放で経済的に成功しつつあった中国のお手本
も、すぐそばにあった。
 
しかし彼は「変化より守り」を選択した。父の死を、“過去”を否定した新たな発展のき
っかけになるとは判断せず、逆に「偉大な父」の不在による体制の危機と思った。危機感
からは「守り」の姿勢しか出てこない。
 
企業でもカリスマ(神格性)のない2代目社長の場合、不安感から新しいことや変化には
踏み切れず、ひたすら守りに入って企業を衰退させ、つぶすことがよくある。北朝鮮の場
合、先代は負債だけを残し亡くなったため、2代目はなおさら苦しく不安が強かった。
 
その一つの突破口は中国式の変化だったが、中国式の改革・開放では外から「自由の風」
が吹き込み、自らの独裁体制が揺らぐと恐れた。逆に父の誕生日を「太陽節」とたたえ、
その誕生年を「主体元年」として年号を制定するなど、父親崇拝で父と一体化することで
自らと体制を守ろうとした。
 
カリスマ不足で父親コンプレックスの金総書記は「守り」を選択することで失敗を繰り返
したが、“父・金正日”は3代目にどんな“帝王学”を授けたのか気になるところだ。
(ソウル 黒田勝弘)
 
(産経新聞 2011/12/20)
 
産経新聞の名特派員である黒田さんにとって金正日は、国民飢えさせた「出来
の悪い2代目独裁者」で「功」が見当たらないという評価です。
確かに、民主主義の理念に慣れた我々日本の一般人から見れば、黒田さんの評
価は誠にお説ごもっともと思います。
 
しかし、当然の事ながら、別の見方もありえます。金正日政権は1994年の金日
成の死を受け、2011年まで存続しましたが、外部環境を考えれば、この間、ソ
連・東欧の社会主義体制の崩壊の影響を受け、金正日政権には、逆風が吹き荒
れていました。しかし、その体制が動揺した事は、ほぼなかったと言えるので
はないかと考えます。外部からの影響を遮断して盤石の国内統治体制を作った
事、そして、国外からの圧力に抗して「金王朝」政権を維持した事。これが、
金政権とそれを支える北朝鮮支配階層ノーメンクラツーラにとって、「功」で
なければ一体、なんなのでしょうか。これは、ソ連崩壊後に中央アジアに出現
した幾つもの権威主義的独裁政権が崩壊していった事と比較すれば、明らかで
しょう。
 
それに加え、2002年1月には米国のブッシュ大統領からテロ支援国家としてイ
ラク、イラン、北朝鮮の三国からなる「悪の枢軸」の一国として、指定もされて
もいます。この内、ご存知の通り、イラクのフセイン政権は既になくなってい
ます。イラン原理主義政権はまだ生き残っていますが、石油という経済的資産
を後ろ盾にもっていない北朝鮮は、非情、且つしたたかに、政権の生き残りを
「核」と「ミサイル」への「選択と集中」によって実現したと言える様に思い
ます。勿論、最初にこの選択を行ったのは金日成でしたが、金正日はその後継
者として誠に見事にその事業を継承し、北朝鮮の体制を維持しました。
 
「核」と「ミサイル」を優先投資対象とした事で、200万人と言われる餓死者
が出ましたが、金日成金正日にとって自らの政権の維持ができなければ、北
朝鮮に民主主義はありえず、経済的繁栄も全く意味はありません。中国的な社
会主義市場経済ですら、金正日にとっては「和平演変」の一種でしかなかった
のだと思われます。
 
この点で、中国と交戦したベトナムが、社会主義市場経済を実現したのに対し
中国と友好的な依存関係を維持した北朝鮮が、独自の世襲独裁体制を維持した
事は、皮肉な対比であると言わざるを得ませんが、その違いは、南ベトナムを
統一したベトナムと、繁栄した民主主義国家である韓国という対抗国家を持つ
北朝鮮との違いであるといわざるを得ません。
 
「坂の上の雲」ではありませんが、欧米列強に抗した明治の日本は誠に賢明な
国家でしたが、それと同じ文脈で、北朝鮮は弱小国家であるが故に、生き続け
る為には賢明でなければならず、金正日は、体制護持という点に関して誠にし
たたかな指導者として北朝鮮の内政外交を領導したと言える様に思います。
但し、体制生き残りの為に200万もの餓死者を出した事で、後世の批判を免れ
る余地はなくなりました。
 
金正日は金正恩への権力継承決定と略同時期から、国民へ「白いご飯と肉のス
ープ」を提供できなかった事を悔いる様な発言をする様になりましたが、民衆
に金王朝への「恨」を残した経済投資の軽視が、自ら亡き後の金王朝の行く末
を左右するものと認識し直したのかも知れません。そして、それは、死にゆく
金日成の認識でもあったし、結局は、金王朝を衰亡に導いた原因と糾弾される
事になると考えるのです。
 
 
'''環球閑話日々の徒然まとめサイト'''
 

カテゴリ: 世界から  > 韓国・北朝鮮    フォルダ: 中国・朝鮮・韓国

コメント(1)  |  トラックバック(0)

 
 
関連ニュース
 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://ysaki777.iza.ne.jp/blog/trackback/2544879

コメント(1)

コメントを書く場合はログインしてください。

 

2011/12/20 20:47

Commented by その蜩 さん

金日成は日本時代の資産が有った上に冷戦構造により、ソ連がかなり手厚い援助を受けてました。
そう言う意味では韓国と戦争できる位に恵まれていたわけです。

金正日は多分想像以上に厳しい中で体制を引き継いだんだと思いますよ。そして、多分体制維持の為には軍を選ぶしか無かったんでしょう。

金正日は日本好きで世襲する前は開明的な事も言っていたとも言われてますが、多分若い頃に思っていた事は殆ど何も出来なかったんでしょうね。
勿論、日本人からすると拉致とかやらかした酷いヤツなんですが。

 
 
トラックバック(0)